2008年10月25日

第六回

『二度あることは……』

「待て、はやまるな」

煌々たる光を天空の月が放つ夜、それは突然やって来た。

「頼む」

そいつは明らかな千鳥足で俺に歩み寄ると、酒臭い息を思いきり吹きかけてきたのだ。

「頼む、止めてくれ……!」

だが必死の祈りも空しく、俺は通りすがった酔っ払いに胃の中のすべてをぶちまけられていた。

「とんだ災難だったね」

同情とも苦笑ともつかない呼びかけは、騒ぎが収まったしばらく後にあった。
結局俺に胃酸交じりのど派手な化粧を施したサラリーマンのおっちゃんは駅員に連れて行かれ、その後、この惨状を見かねたのか見回りの警備員がホースを使って洗い流してくれたのである。

ともあれ、

「いや、ビン・カンちゃんは無事で何よりだよ」

マーライオンもかくやといった激しい流動物の噴出に、彼女がさらされることがなくてよかった。
こんな思いをするのは俺だけでいい。

「ありがとう」

「いやいや。それにしても、雑聞氏はまだ起きないのかい」

「うん、そうみたい」

驚くべきことに、今の騒ぎもどこ吹く風で未だ雑聞氏は眠っているようだ。
もしかしたら、さっきのような事件が彼の身に降りかかったとしても、平然と眠り続けることができるのではないかとさえ思えてしまう。

とてつもない大物なのか、あるいは単に鈍いだけなのか。
いずれにせよ、俺のものさしで計れるような存在ではない。

まだ言葉一つ交わしたこともないのに、
そんな風に決めてつけてしまうのもどうかと思うが、少なくともこの肝の太さは尋常ではない。

「あ、誰か来たよ」

「そうみたいだね」

彼女の言葉に俺は意識を現実に戻した。あれは二十代半ばといったところか。
仕事帰りなのだろう、どこをどう見てもビジネスマンといった風体だ。
しかし、手には鞄しか見当たらないところをみるとあの中にごみを入れているのだろうか。

「でも、あの人ごみを持ってな……きゃっ」

同じことに気づいたビン・カンちゃんの台詞を遮るように、俺の体を衝撃が貫いた。

地震などではない。遠慮の欠片もない蹴りがこの身を揺るがしたのである。

「オラ、ふざけんじゃねえぞ。俺のせいじゃねえっつうの!」

愚痴を憤り交じりに吐き捨てながら、スーツ姿の若者はひたすら俺を蹴り続けている。

「あああああチクショウ」

驚きこそしたものの、これしきのダメージで俺がお釈迦になることはない。

だが、少し想像してみて欲しい。
いくら平気だからと言って、執拗に攻撃を受けて気分がいいはずがあろうか。いや、ない。

「チクショウチクショウチッキショォォォ!」

とはいえ、ますますヒートアップする彼を止める術は、俺にない。
気が済むまで待つことしかできないのだ。

それにしても、いつまで続けるつもりだろうか。
このボディがサッカーボールじゃないことくらいわかるだろう。
蹴るのは、要らないキャッチセールスくらいにしておいてくれ。

「……やれやれ」

何度ついたかわからないため息を漏らした時、
ようやく物音を聞きつけて警備員がやって来て、

「こら、何をしている!」

「あ、ひィ」

若者は情けない悲鳴を残し、全速力で遁走した。

「びっくりしたね」

「そうだね」

ビン・カンちゃんに相槌を打ちつつ、内心密かに嘆息する。本当にどうなっているのかと、俺はたずねたい。これがいわゆる厄日というものなのか。

そう思っていた矢先、今度は制服に身を包んだ女の子が姿をみせた。見たところ、特に問題はなさそうだ。

「今度の子は大丈夫じゃない?」

「そう、信じたいね」

冗談っぽく言う俺に、ビン・カンちゃんは明るくそうだねと相槌を打った。まさか、悪い出来事が立て続けにあるなんて誰が考えるだろう。

しかし、二度あることは三度あるもので、
なんと、口をすぼめた女の子が飛ばしたガムは、俺のボディにべったりと張り付いたのである。

「はは……」

これって、取れにくいんだよネ。
ほら、ガリガリとさ、ヘラみたいなもので身ごと削られたりしなくちゃいけないし。

どうなってんだろうね、これは。

「アザーズくん、大丈夫?」

「ああ、平気へいきこれくらい」

気遣ってくれるビン・カンちゃんに、俺は空元気を出して応えた。

「あの子にも、悪気はなかったと思うし」

そう付け加えたのは、ビン・カンちゃんへの気遣いもあったが実際そう感じたからで、
狙いを外したのを見て、少し後ろめたそうな顔をしていたのがその根拠だ。

それに、世の中捨てたものじゃないんだぜ?

こうして慰めてくれる隣人もいることだし、な。

とはいえ、さすがにこの日はあまり楽しい気持ちにはなれなかったことを追記しておく。

次回予告ッ!
生きていればいいことも悪いこともある。
雨の日が続くこともなければ、明けない夜もない。
世知辛い世の中でも、時には人の優しさに触れることだってある。
寝てばかりの雑聞氏だって、たまには起きたりするんだぜ。……愛、覚えていますか?

2008年07月31日

第五回

―燃やすならハートと意欲にして下さい―

「アザーズくん!」
何の前触れもなく、絹を裂くような叫びが夜気に響き渡った。
すっかりまどろんでいた俺も、起き上がる体があれば思わず跳ね起きたところだろう。

まだ紗のかかったような薄ぼんやりとした意識を隣に向けると、普段のおっとりとした雰囲気はどこへやら、あわてふためくビン・カンちゃんの姿が目に入った。
「うん、どうしたんだいビン・カンちゃん」
「落ち着いている場合じゃないよ! 誰か、人を呼ばないと!」

いったい何が起こっているのか。
事態は理解していないものの、立て続いた悲鳴と呼んで差し支えないに彼女の声に意識がようやっと覚醒する。
「?」

途端に焦げ臭さが鼻についた。
そういえば、なんだか妙に煙たいぞ。

ちょっと待て。
「って、なんだこりゃ!」

煙たいどころの騒ぎじゃない。
もうもうと立ち込めているじゃねえか。

これは、
「俺が火事だ!」

悲痛な叫び第二号は、俺の口から発せられた。

結論から言うと、出火の原因はタバコの吸殻や放火ではなく生ごみだった。
どうして湿ったものが燃えるんだ、って思うのは早計というもんだぜ。
もちろん、生乾きの諸々にいきなり火がつく訳じゃない。
とあるものが一緒に入っている時に、一定の条件を満たせば発火してしまう。
混ぜるな危険、じゃないが何でもかんでも一つの袋に入れてしまえばこういうこともあり得る。

その時、俺同様すっかり水浸しになってしまったビン・カンちゃんが、安堵の吐息をもらした。
「本当、びっくりしたよ」

無理もない。俺だって、正直度肝を抜かれたくらいだ。
「でも大事なくてよかった」

驚くことなかれ、彼女は自分のことなどそっちのけで、こちらの身を案じてくれている。
とはいえ、こちらが迷惑をかけてしまったと思っているくらいなのに、
そんな風に言ってもらうのはなんとも申し訳ない気持ちになる。
「とばっちりを受けさせてしまってすまなかったね」
「ううん、私はちょっと濡れたくらいだもん。ぜんぜん平気だよ」

実に心温まる言葉ではないか。
まったく、持つべきものは素晴らしき隣人、これに尽きる。

だが、ビン・カンちゃんの台詞はただの気休めという訳でもなかった。
幸いにも駆けつけた職員たちの処置が早かったため、
受けた被害は少々煤ける程度のものだったのである。

それにしても、乾燥剤と生ごみのコンボを決めるたあ、どこの誰だか知らないがやってくれるぜ。

いくらその他のごみと言っても、新聞雑誌とビン・カンを除く全てのごみではない。
電子レンジなどの家電製品などもっての他、家庭用のごみだってお断りだ。
しかも今回のように燃え上がるような代物は、二度と御免こうむりたい。

そして、一つ明らかになったことがある。
「そういえば、雑聞くんたらこれだけ騒ぎになっても起きないんだね」

ぽつりとつぶやいたビン・カンちゃんの隣人にして、
俺から見て二つ隣のBOXである新聞・雑誌氏は、どうやらかなりの大物らしいということだ。

ま、散々な目には合ったものの、温かな優しさに触れることができた俺としては、
この日はそれほど悪い一日でもなかったと言っておく。

次回予告?
蹴り、げろ、吐き捨てられたガム。
アザーズは、今日も今日とて悲哀に暮れる。
「待て、はやまるな。頼む、やめてくれ……!」
二度あることは、三度ある。君は、刻の涙を見る?

2008年06月18日

第四回

「製造No.47293」

「アザーズくん、なんだかぼんやりしているみたいだけど、どうかしたの?」
うららかな春の午後、
ビン・カンちゃんに声をかけられたところで俺の意識は現実に引き戻された。
それで、自分が物思いにふけっていたのだと気づく。

「いや、ちょっとね」
「ふうん?」

と、その時アナウンスと共にプルルルルという音が辺りに鳴り響き、
ホームに入ってきた電車に気を取られたのか彼女はそれ以上何も聞いてこなかった。

多くの乗客が開いた扉から吐き出されて、みるみるうちに階段付近に人だかりができていく。
そんな見慣れた光景を目にしながら、なんとなくほっとして再び意識を自身へと向けた。

甘酸っぱくもぴりりと辛い、記憶へと。

彼女と出会ったのは、忘れもしないある春の日のことだ。
あの時の俺はどの仕事に就くかも決まっておらず、これから自分たちをどんな運命が待ち受けているのか、誰もがそうした期待で胸を膨らませているのだと信じて疑わない、
よく言えば純粋な、悪く言えばまだ何も知らないただの金属で出来た箱に過ぎなかった。

製造No.47293、それが彼女の名前で、俺はそのすぐ後だった。

彼女は最初から落ち着いていた。
知的でウイットに富んだ台詞や思いやりに満ちた声音は、
聞いていてとても同い年とは思えなかった。

俺たちは、自然と言葉を交わすようになっていた。
まず芽生えた感情は憧れ、それはすぐに尊敬へと変わり、間もなく恋に落ちた。

だが、別れの時はすぐにやってきた。配属先が、決まったのだ。
『またね』

俺は、元気でねとことさら明るく返した。
『あなたも』

明るく言ってくれた彼女もまた、別れを惜しんでくれていたのだろうか。

彼女の姿が見えなくなってからしばらくの間、俺は独り涙に暮れた。
「アザーズくん」
「どうしたんだい?」

日暮れが近づく頃、ビン・カンちゃんの呼びかけに応えると、何故か彼女は言いよどんだ。
「ええと、なんだっけ。そうそう、昨日ね……」

彼女の話はとってつけたような内容だった。

他愛もない話を続けながら、ふと思う。
ビン・カンちゃんが、どうしてこんな話を振ってきたのかと。

もしかすると、自分ではいつもどおりに受け答えをしているつもりでも、
何か違いがあったのかもしれない。
たとえば声が少し沈んでいたりだとか、表面の艶にわずかな陰りがみられたりとか。

だとすれば、彼女なりに気を遣ってくれたのか。
「どうしたの、アザーズくん?」
「ううん、なんでもないよ」

俺は笑みがこぼれるのを隠そうともしなかった。
「なんでもないんだ」

ステキな隣人を持って、俺は幸せものだ。
そのことに、今は心から感謝したい。

次回予告!
新聞・雑誌にビン・カン、それ以外のものを捨てるための、その他のごみ。
だが、何を捨てても許される訳ではない。
それは、その他以外だッ!
湿っぽい雲すら吹き飛ばす「燃えろ、真吾(仮)!」をみんなで見よう!

2008年05月27日

第三回

「俺たちゃ一蓮托生」

唐突だが、今日は同じホームで働く同僚たちを紹介しようと思う。
まずはお隣さんにして我らがグループの紅一点、ビン・カンちゃん
名前の通り瓶や缶の回収に精を出す、色々と敏感、もとい繊細にできている女の子だ。

彼女はその向こう、俺から見れば二つ隣のBOXである新聞・雑誌氏と目下交際中らしく、
付き合い始めの恋人同士にありがちな、何かの拍子に指先が触れ合ってあわてて引っ込めたりだとか、見詰め合うことが照れくさくてなんとなく視線を伏せてしまうような、初々しさ満点のどこかぎこちなかった会話は徐々に馴染んだものになりつつある。

幸せそうな二人のやり取りは実にほほえましく映る。
とはいえ、起き抜けに睦まじいやり取りを聞かされるのはさすがに勘弁して欲しいものだが。

ちなみに三人の位置取りを説明しておくと、
正面から見て左端が俺、真ん中がビン・カンちゃん、右が新聞・雑誌氏となっている。

俺たちは肩を並べてこの14番ホームを美化すべく日夜務めている訳だ。

駅で姿を見かけたら、よろしくやってくれ。頼むぜ!

次回予告?
彼女の声を聞くだけで、鼓動は高鳴る。
目が合えば、それだけで息が詰まりそうになってしまう。
そう。ごみ箱だって、恋をする。
切なくも甘酸っぱい想いを描いた「製造No.47293」を須らく見よ!

2008年05月14日

第二回

「怒」

冬のある日、突然隙間風が吹き込んだ時のことを想像してみて欲しい。
その冷たさに思わず首をすくめたり、無言で窓を確認しに行ったり、人によって反応は様々だろう。

では、閉めるべき窓もなく風に吹かれた時は、どうすればいいのか。
眠る前は暖かな布団の中に居たってのに、いきなり寒空の下に放り出されたとしたら、どうする?

途方に暮れるか、あるいは世の理不尽さを嘆くか。
はたまたぶつけどころのない怒りを胸に、地団太を踏むか。
真面目な話、俺はついさっきまず途方に暮れ、世の理不尽さを嘆き、これが夢ではないかと疑った。

あり得ないような事態に直面し、思わず現実逃避をしてしまったのだ。
まさか、暖かな春の日にこんな気分を味わうことになろうとは思いもしなかった。
何故って?

ああ、蓋がないんだ。

駅構内に清潔な空間を提供するため日夜働く俺の、重要なる構成要素の一つである蓋がないんだよ。
蓋がないなんて、あり得ないことのように思うのは俺だけか。
ネジで留められている上、溶接までされているものが風で飛ぶ訳がない。
こんなもの、数人がかりで蹴りを入れられたって取れるモンじゃないぞ。
いったい俺が何をした?
頼むから教えてくれ。いったい俺が何をしたってんだ。

これじゃ、心に隙間風どころかリアルに風が吹き抜けるぜ。
あり得ねえ。
蓋のないごみ箱なんて、ただの箱だ。
昨日、バナナの皮で足を滑らせるなんてベタな光景を目にして笑ってしまったのが悪かったのか?
だったら謝る。もう笑ったりなんてしない。二度としないから勘弁してくれ、すまなかった!

誰か、俺の蓋を返して! プリーズ!

次回予告
我らがアザーズにビン・カンちゃん、それから雑聞氏。
一列に並ぶ3つのBOXは、雨の日も風の日も14番ホームで肩を並べて職務に励んでいる。
隣人、正確には隣箱を紹介する「俺たちゃ一蓮托生」にレッツ・プレイ!

2008年05月05日

第一回

「the others!」

俺は日々、ホームを行き交う人間を見守っている。
と言っても観察することが仕事ではない。

俺の名は"others”、いわゆるその他のごみというヤツだ。
そう、人々からごみを受取り貯めておくのがその仕事で、要はごみ箱である。
そのためいつ何時であろうと、人種を問うことなくあらゆる老若男女がクライアントになり得るワケだ。

たかが、などと言うなかれ。
駅の構内に居る仲間たちと共に、風雨に負けず日夜清潔で心地よい空間を生む手助けをしなければ、ここは遠からずごみだらけの魔窟となり、結果、治安の悪化を招くという事態にもなりかねない。

もっとも勘違いしないでもらいたいのは、俺は別に労いの言葉を欲しているワケではないということだ。
ごみは黙って屑篭へ。急いでも、分別だけは忘れずに。
それさえ守ってもらえれば、ごみ箱としてこれほど嬉しいことはない。
残念ながら、俺は自分の手でごみを集めることはできないからな。

と、言ってるそばから家から持ってきた生ごみを入れるなよ兄ちゃん。
ああ、困るなお姉さん。ちゃんと目はついてんだろ? 雑誌は二つ隣のBOXだぜ。
っておい、お嬢ちゃん、お願いだから飲み残したジュースを俺に注ぎ込むのは止めてくれ!

……とまあ、毎日がこんな感じだ。やれやれ。

そういうワケで、分別回収よろしく頼むぜ。

次回予告
the othersを襲う衝撃の事件。その他のごみ、廃業の危機!?
タイトル「怒」を期待せず待て!